徒然なるままな音楽記と日常におこった出来事。


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音楽的懐の広さ


 「懐が広い」人にしばし合うが、どの人も素晴らしい人ばかりである。私が、"まず粗を探す"ことから入るタイプの人間であるからなお更そう感じるのかもしれないが、表向きに対して肝要でいられる様に努めている今の自分から見ても、大きな違いを感じる事が多い。またそういう人の近くには色々な人が群がる。

 今まで会った懐の広い人は、大まかに分けてしまうと、相手の判断に委ねることに依存しているタイプ(受動的なタイプ)と、自分の経験値から相手に同情できるタイプ(能動的なタイプ)の2パターンだと考える。この場合真意に懐が広いのがどちらか、と問われれば私は後者を選ぶ。

 さて、自分の経験値を元に懐を広げられる、という考えは音楽にも当てはまるものではないだろうか。素晴らしいミュージシャンが作り出す、独創性や、タッチやトーン、ダイナミクスを受け止められるのはそれを経験したもののみである、という考え方だ。しかしそんなことを言い切ってしまうと、音楽を演奏しない者全てがそれらの嗜好性の強い音楽を受け止められない、と極論的理解をされかねない。ここで言う経験とは、それが絶対的なものであれ(主体的演奏経験に基づくもの)、相対的なものであれ(他人の演奏を多く見聞きすることによって形成される価値観に基づくもの)、同じ経験である。結局は「場数が物を言う」という言葉に尽きてしまう。

 しばらく聞いていなかった作品がまったく違って聞こえる事を感じた方は少なくないだろう。それは、自己の経験値が積み重なったことによって視野、あるいはその理解深度が増したからであることはもはや言うまでもない。受動的な懐の広さでは太刀打ちできない、それが「音楽的懐の広さ」という訳だ。
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by un-air | 2005-03-12 02:55 | コラム